はい次。テン、ウォカとラブラブなのはいいけど、なんたって羊伯爵家の十代目当主です。勿論許嫁だっています。跡取りを残す義務があります。でも、
 んな事知るかボケ−! って感じです。
 で、ある時――



「ああ、ウォーカー君おはよう」
「お帰りなさい。今朝は随分早く出かけてましたね、おはようござ――ええ!? どうしたんですかその格好!?」
「いや、本家に顔を出してきたのでな」
「ああ、それで正装ですか。しかし何故本家へ?」
「次男に当主を譲る手続きをしに行った」
「――何ですって?」
「しかし、私が“カウント.テン”の名前を受けた以上、暫く第十代目当主は私のままだ。次男の長男が産まれたら、その時点で当主は譲る。しかし私自身は跡取りを残す気はないとカウント.ナインに伝えてきた」
「……貴方の御父上ですね。それはまた……大層な事を……。では次男の長子は“カウント.イレブン”ですよね。いいんですか? 貴方は当主を継ぐ為に辛い幼少期を送ってきた筈では――」
「君と一緒に居られればそれでいい。家系の系譜も、財産も興味はない。君と一緒にいられるなら、子孫を残して時代を継がせるのは弟に任せる。私には、君さえ居てくれればいいんだ。本当は“当主”の肩書きも今すぐ次男に譲りたかったが、あの頑固親父は何を言っても譲らなかったのでな。仕方ないさ」
「……いいんですか? 貴方は十代目当主を継ぐために、これまで辛い生活を送ってきたのでしょう?」
「私にとって、今が全てだ。家系など関係ない。君さえ私の側に居てくれれば、それだけで私は幸福なんだ。家系を継ぐ事より、君と一緒に過ごす方が何十倍も幸せだ」
「………テンさん……」
「まだ度々本家に帰って色々と仕事をせねばならないだろうが、それも次男が跡取りを生むまでの辛抱だ。そうなったら、何も気兼ねなく、君も私の側に居てくれるね? ウォーカー君」
「………ふっ……当たり前でしょう。テンさん……」
 そう笑って、目尻の端が涙で熱くなったまま、ウォーカーは彼に、そっと抱きついた。

――――――――――――――――――――
 さて、詳細は次の話に続きます。ちょっと長いです。

             ↓

己の望みのために

「よし、フェイト。今からお前に十代目当主の座を譲る。ついでに私の許嫁もくれてやる。次の伯位継承権を得るのは未来のお前の息子だ」
「はぁ!? そんないきなり!!」
「お前本当にいい加減にしろ!!!」
 そんな口論が続くが、テンは断固として退かない。
「譲らんと言ったら譲らん!」
 きっぱりと言い放つ。側で聞いていたフェイトは重くため息を吐き、カウント.ナインは憮然として口を閉じた。
 黙りこんだ父親に、やっと諦めたかと心内で安堵したが、カウント.ナインはまた口を開く。
「――お前の主張はよく解った」
 一瞬身構えたが、その静かな口調を意外に思う。彼は少し顔を伏せたまま今度はフェイトに向き直り、
「勝手に話を振られたが――お前は今の提案をどう思う? 当主権を継いでもいいと思えるかフェイト?」
「え!? あ……あぁー」
 フェイトは少し天井を仰いでから、
「……そうなっても、いいと思っています。僕は元々当主の器ではないけれど、期待してくれるなら努力もします。もしも僕と兄上の髪色が逆だったなら、当主は僕だったのでしょう? それに――今からでも、僕が継ぐ事で兄上の負担が少しでも軽くなるのなら、僕は当主権を継ぎます」
 まっすぐに、そう言った。
 暫くの沈黙の後、
「…………次代の後釜が確立するまでは、フェイトに継がせる訳にはいかん」
「父上っ」
「まだそのような強情を――」
「聞け。後釜が確立されない以上、当主を変えるという愚行を働けば公爵家、侯爵家に顔向けできん。もしも馬鹿長男から当主権を移行するなら、それはフェイトが確実に後釜――つまり息子ができてからだ。この馬鹿のように許嫁放棄などされてはどうにもならん」
「………それじゃあ」
「正式な手続きは、フェイトに息子ができてからだ。今はその旨を約束する契約しかできん」
 そう言われ、テンとフェイトはほっと安堵の息をついた、が――
「だが勿論、ただでそんな契約できる筈がなかろう」
 唸るように、カウント.ナインは続けた。

「どうしてもその契約をしたいなら――――私を倒してからにしろ」

 冷たい敵意を称えた目で、テンに向かってそう言い放った。
「……私と真剣で戦って勝ってみろ。それができたら契約してやる」
「――――」
「本気で来い。負けた場合、後遺症ぐらいは覚悟しろ。運が悪ければ死だ。貴様が死んだらフェイトの息子ができるまで当主は私が務める。結果は変わらなくともその方がずっとマシだ」
 ゆっくりと椅子から立ち上がる。
「死ななくとも、もうふらふらと遊び歩けぬよう、片足は切り落とす。その覚悟があるのなら一時間後、闘技場で待つ。十代目当主」
 そう言い放ち、カウント.ナインは広間から出ていった。

「テーンー、もうちょっと父上の事も考えてあげなよ。ストレスで肺に穴あけそうだよ」
「あの頑固親父はあのくらい言っても聞かないのだから仕方ないだろう」
「だったらせめてバンドくらい辞めて家系の仕事に専念してあげなよ」
「それこそ不可能だな。私のライフワークだぞ!」
「……じゃあ、ウォーカーさんとバンド、どっちが好きなの?」
「ウォーカー君に決まっているだろう」
「じゃあバンドは辞めなよ!」
「それとこれとは話が違う!!」
「意味わかんないよぉ!!!!!」
 テンの部屋でそんな会話をする二人。彼らは二人きりの時は砕けて話せる仲の良い兄弟だ。
「私の中で意味は通っているから問題ない」
「いやだからそれが―――テン!?」
 よく解らない主張をしながら戦闘着に着替えだした兄に、フェイトはそれまでと違う声音で反応した。
「何だ?」
「何だじゃないよ! まさか……本気で父上とやり合う気なの!?」
「当たり前だ」
「ちょっと待ってよ! 無茶だよ無謀すぎる!! 父上の技量はテンが一番解ってる筈でしょ!?」
 二人の父親、伯爵家第九代目当主のカウント.ナインは恐ろしい程に強かった。剣の腕だけなら公爵家の当主も凌ぐ程だ。
 その強さはテンが一番よく解っている。
 何故なら彼に剣を教えたのは、他でもないカウント.ナイン本人なのだから。
「解っている。それにあの親父の性格なら、こうくると予想もしていたよ」
 応えながら、着々と着替えるテンにフェイトは焦る。
「解ってるなら何で!」
「だから、特訓してきた」
「ちょっと特訓したくらいで勝てる訳ないだろ!?」 
「……必死だなフェイト」
 含み笑いをしながらそう言うテンに、フェイトは正面から両肩を掴み、まっすぐに目を合わせて真剣な顔で、
「当然だよ。運が良くても片足斬るって言っているんだよ? 父上は本気だよ脅しじゃない。
運が悪ければ死ぬなんて……どうしたって無事じゃ済まない。僕が止めない訳ないだろ?」
 そこで一拍おいてから、
「――僕はもう、目の前でテンが傷つくところを、黙って見てはいられないんだよ!!」
 泣きそうな顔で、そう叫んだ。
「……フェイト………」
「これまで……君は充分すぎるくらい傷ついてきたじゃないか!! 僕ら弟妹の為に、お家柄の為に、大人の勝手な都合の為にたった一人で傷ついてきたじゃないか!! もういいんだよ! 君はこれ以上傷付いちゃいけないんだよぉ!!」
 後半は少し声がかすれている。涙が滲み出しそうになるのを、声が嗚咽に変わりそうになるのを、必死で堪えているのがよく解った。
「君は大事な……僕のたった一人の兄上なんだよ……テン」
 言って、俯いた。
 しばしの静寂の後、そっと肩に置かれた弟の手に自分の手を重ねる。
「有り難うなフェイト。お前がそう言ってくれるのが、私には本当に心強く嬉しい事だよ。心配するな」
「っ! テン!?」
「大丈夫。私はもう、あの親父が思っている程馬鹿じゃない。この本家を離れていた間、何もしないで遊んでいた訳ではないよ」
「でもっ――」
「お前に心配をかけるのはこれで最後だと約束する。だから――兄として、私を信じてくれないか?」
 困惑の色を浮かべるフェイトに、テンはそう言って自信のある笑みを浮かべてみせた。
「……大丈夫だ」
 もう一度、はっきりとそう言った。本当にこの兄は強情で頑固だ。この頑固具合は父親以上だと改めて確認した。
 フェイトはそんな兄に、表情を歪めたまま、小さく、頷き返した。

 もしも、兄が父親に殺されそうになったら、足を切り落とされそうになったら、自分は例え父親から絶望されようが
 兄に怒られようが、迷わず飛び込んで止めてやると心内で決心を固めながら。


「覚悟できずに帰ると思っていたな」
「まさか。私が望んだ事だぞ」

 闘技場で対峙した、父と長男。それを審判席から見守る次男。このような場は、本来なら一家全員で見なければいけないところだが、丁度母親はフェイト以外の子供達を連れて男爵家の会合に呼ばれていた。
 先刻電話でこの決闘を伝え、母親はすぐ戻ると言ったが、男爵家からこの屋敷まではどうしたって半日はかかる。
 家族が全員集まるのは、全てが終わった後になるだろう。
 ゆっくりと剣を――競技用ではなく、本物のサーベルを抜く二人。手入れは互いに万全だ。その刃は軽く指で撫でるだけで
 切れる程研ぎ澄まされている。負けた方はただでは済まない。
「――覚悟のうえだな?」
「勿論。―――我らが祖先、伝説の守護神、いと尊き騎士の名にかけて」
 サーベルを高く掲げながら、大事の場に誓いの言葉として使われる文句を、テンは唱えた。
「……解った。もう何も言うまい。――フェイト」
「はい」
 呼びかけに、審判席からフェイトは立ち上がり、腰に吊っていた短剣を抜く。そしてそれを高く掲げた。
 次いで、カウント.ナインもサーベルを掲げる。
「………我らが祖先、伝説の守護神、いと尊き騎士の名にかけて――いざ、」
「尋常に、」
「「勝負」」
 二人が同時に言い放つと、フェイトは大きく胸に空気を吸い込み、

「――始め!!」

 叫び、短剣を振り下ろした直後、二人は大きく地を蹴って衝突した。

              


 激しい攻防。鉄の刃が交わって響く高音が絶えず響く。まだ互いに致命傷ではないけれど、頬や腕など数カ所から血が流れている。
 互いの剣を紙一重で避け、あるいは避けきれずに肉を切られるか剣で受け止めるか。剣だけでなく、たまにガードが空いた場所に
 打ち込まれる蹴りや拳にも配慮しながら、全神経を集中させて斬り込む。
 そんな二人を、フェイトは手に汗を滲ませて見はっている。未だ短剣を握ったままの手が震えるのは恐怖か、武者震いか――驚愕か。
 何故ならこの激しい攻防、僅かに優勢なのは――

「……………テン……凄い……」

「――っ!」
「はぁっ!」
「くっ!」
「私はもう貴方の人形ではない!!」
 飛び交う、白刃の乱舞。
 自分が剣を仕込んだ長男と、本気で戦った事は無かった。どうしたって師弟は師弟だ。弟子の太刀筋など自分より稚拙なものばかり。
 血だらけになった長男を立つよう促して剣を振り上げていたのは自分だ。
 しかし今のこれは何だ。
 大きく相手を制するように攻め込む姿勢は確かに自分が教えたものだ。だが、何かが違う。
 僅かにガードの空いた死角に鋭く走る突き技や、そのまま間髪入れずにたたき込む横凪。攻められつつもカウンターを狙ってくる
 肘打ちと柄の下段。傷を負えばどうしても動きが鈍る利き腕と利き足を無駄なく狙ってくる姿勢。
 それはどれも自分が教えた筈だが――何かが違う。自分が教えた技を延長させ、更に実践的な戦法を取り入れた別の戦い方。
 自分が教えた技だけではない。師の教えを改良し、応用して自らの戦闘術を編み出したのか――
「――この程度か!? 九代目!」
 一気に間合いを詰められて袈裟がきが走る。
「いい気になるな!」
 刃で流しながらこちらも打ち込む。しかしそれも予想の内だと言うように半回転して死角に入り込まれる。
「屋敷でぬくぬくしてるせいで剣が錆びたようだなぁ!!」
「黙れ!!」
 神経を逆撫でされ、大きく振りかぶった。
「テン!!」
 とっさにフェイトは叫んでいた。明らかに致命傷になる鋭さで、カウント.ナインの剣は兄に届いていた。
 直後、鮮血が飛び散る。だが――
「!」
 ナインの剣は長男の脇腹に食い込んだ。しかしそのせいで、真下から切り上げられる彼の刃を受け損なった。
 しまった。
『相手を興奮させれば判断力は鈍くなるし、感情に乗じる分太刀筋も先読みし易くなる。だからいつでも冷静でいろ』
 そう教えたのは自分だ。
 それに加えて、実戦が絡んだように鋭い彼の剣。肉を切らせて、骨を断つ。
 
「―――――っ!!!」

 一際高い金属音が響いた。
 直後、風切り音が鳴り、一本のサーベルが回転しながら弧を描いて空に飛ぶと、二人の背後に突き刺さった。

 勝負あった。

 剣を弾かれたナインはバランスを崩した途端に足をすくわれ、地面に手を突いた時には振り下ろされたテンのサーベルの切っ先が喉元に当てられていた。
 その状態で動きを止めたテンは、脇腹からぼたぼたと血を流し荒い息を吐きながら、膝を折った父親を真っ直ぐに、闘志のこもった瞳で見据えていた。

「―――そこまで!!」

 審判席から飛び降りかけて、囲いに足をかけたままでいたフェイトは、安堵と驚愕と歓喜を胸に沸き立たせながら、あらん限りの声で叫んだ。


「………私の負けだ」
 静かに立ち上がり、軽く体を払ってから、前当主はそう言った。
「……ふっ……当たり前だな」
 血が流れる脇腹を押さえるテンはその痛みから汗を浮かべているが、顔には満足の笑みを称えていた。互いに体は傷だらけだが、
 重症なのはテンの方だ。しかし、本物の戦いならば最後に喉元にあてられた切っ先はそのまま貫かれていた。負けたのは自分だ。
「私なら、あのままお前の喉を引き裂いていたぞ」
「だろうな。だから制した。フェイトの前で人殺しなどできん。それに殺してしまったら、契約書にサインする前当主がいなくなってしまうからな」
 そう、笑った。
 審判席から飛び降りたフェイトが、備えていた止血帯を持って走ってくる。
「…………お前も私の血を引く長男、か……」
 小さく呟きながら、静かに歩み寄る。身構えるテンだが、ナインは彼の脇を通り過ぎた。
 そこで、足を止め、

「―――……強くなったな。テン」

 背中越しにそう言って、退場口に向かって歩いていった。
「……………当然だろう……父上」
 苦笑混じりにそう呟いた直後、フェイトが駆け寄ってきた。

 ――式典の場以外で父親に名前を呼ばれたのは、これが初めてだな……

    
「あたたたたた!」
「我慢! 全くもう無茶するんだから! 何度心臓止まると思った事か!」
「約束は守っただろう?」
「――うん。正直勝てる訳ないと思っていたからびっくりだ――よっ」
「うぐっ!」
「よし、できた」
「……荒療治だな」
「心配させた罰」
「心配するなと言っただろうが」
「無理な要求だってば。……テン凄いよ。あの父上に勝っちゃうなんて……一体どんな特訓したのさ。僕じゃ太刀筋見えなかったよ」
「………最近、鬼のように――いや、魔王のように強い剣の先生ができたものでね」
「へぇ……そりゃすっごいや」
「彼にはまだまだ勝てそうにないんだ。向こうは余裕綽々のていで特訓してくれるしな」
「誰それ?」
「今度会わせるさ」
「うん。……さて、あと数時間したら母上達も帰ってくるよ。晩餐しよう。豪華にね!」
「――いや、もう失礼するよ」
「えぇ!? 何でさ!! 本家になんて滅多に帰ってこないのに! 母上も会いたがってるよ!?」
「早く帰って、この事をウォーカー君に伝えなければならない」
「……………そっかぁ……ま、確かにそうだねぇ」
「母上達には今度改めて来ると言っておいてくれ。一応、お前の息子が生まれるまでは私は当主のままだからな」
「――解った」
「……巻き込んで済まなかった」
「今更? もういいよ。それに僕はずっと、テンを当主の肩書きから救ってあげたいと思ってたしね。少しでも次男として役に立てるなら望むところ」
「ははっ。――私が『何が何でも当主になってやる』と思えたのは、お前のお陰だぞ」
「……有り難う。お役目、もう少し頑張ってね」
「ああ――それじゃあ、また来る」
 そう言って、包帯だらけの体に屋敷に来た時と同じ正装を着て、伯爵家十代目当主はどうどうと門を潜っていった。


―――――――――――――――
 ――魔王のような先生とは、誰か言わなくても解りますよね? 一応言うと、赤闇です。
 波瀾万丈な神聖ローマ帝国で波瀾万丈な人生送ってた人ですからね! 半端なく強いんですよ……
 はい。こんな感じで、ウォカと一緒になるための契約ゲット!
 しかし、一体テンの過去に何があったのか。何で父親と確執があったのか、下の弟妹とも何かあったのか――もろもろの説明にいきましょう。



 羊伯爵家の長男として生まれたテンは、物心ついたらすぐに隔離生活を送る事となりました。代々長男は当主候補なので特別に教育するのは当たり前でしたが、彼の場合は周囲の、特に父親・カウント.ナインの期待が大きすぎました。地獄のようなスパルタ教育を受ける事となりました。
 テンは白髪で生まれました。一族の祖先が白髪だった事。白髪は滅多に生まれない事で、とても貴重な人材でした。ナイン様は黒髪です。黒髪も、白髪と同じくらい滅多に生まれません。しかしその意味は白髪とは正反対。落ちこぼれの不完全な子、として、代々黒髪は差別されていました。しかしナイン様はそんな周囲の都合を努力と頑固さとでひっくり返し、歴史を変えてみせました。自分が白髪でない事を悔いていましたが、黒髪でも立派に当主になってやったのだから良いだろう、と思っていました。
 しかし自分の長子は白髪でした。期待は一気に高まります。その結果が、本当に酷いスパルタ教育になってしまいました。
 自分の息子ならこのくらい出来る筈だ。こんな事もできないお前に生きている価値はない、と、課題をこなすまで睡眠も許されず、幼いテンはぼろぼろでした。味方なんて一人もいません。母親は、こんなやり方は間違っていると思っていましたが、長男の教育については一切口を出すなとナイン様に命令されており、助けるに助けられませんでした。テンの目からは、母親も見て見ぬふりをしているようにしか見えません。使用人も陰で笑ったり同情したり。弟妹の名前と顔は写真などで知っていましたが、実際に会った事はありませんでした。離れの窓から、庭園で弟妹が遊んでいる姿を時折目にするばかり。耐えられなくて、何度も死のうとして、でも幼い頭で思いつく方法では死ねなくて、その度に折檻をうけました。毎日毎日、勉強と鍛錬に追われて、ぼろぼろでした。因みにテンはもともと左利きですが、これも教育で右利きに直されました。なので現在両利き。大人になった今では左手のがよく使ってますが。
 そんな幼少生活の1シーン

               ↓




少しだけ生きただけなのに 被さる孤独の影は――

 ふと見た時、窓の外の遠い庭園で、自分の弟妹達が遊んでいた。
 兄弟といっても、資料からそうなのだと予想できただけで、直接口をきいたことは一度もない。
 眩しいほどの太陽の下、駆け回って遊んでいた。
 わたしは視線をすぐに手元へ戻すと、血の滲んだ右手に持ったペンで、ひたすらに計算式を書いた。
 その手に、傍らに立つ教師が鞭を振り下ろす。式を間違えたらしい。

 午前十時の鐘が鳴った。
 わたしは練習着に身を包み、庭の一画にある広場に立っていた。一日の内で最も過酷な時間が始まる。
「――ごしどう、よろしくおねがいいたします。当主さま」
 長い黒髪を束ねたその人に、わたしは胸に手を当てて一礼した。

「あらあら坊ちゃま。またこんなに怪我を増やして」
「ご心配なく。ちゃぁんと手当しますから、明日も鍛錬に励んで下さいまし」
「しかし当主様、愛あるが故とは言っても、本当に手厳しいのでございますねぇ」
 看護師やメイドがそんな事を言いながら、さっき新しくできた傷を処置していく。
 昔受けた傷が治っても、ほぼ毎日新しい傷ができるので、自分の体から生傷が絶える日は無かった。
「さ、これで大丈夫ですよ」
 そう言うメイドに、こくん、と小さく頷いた。
「今日はあまり深い傷がなくて良かったですね。でも打ち付けたりしないようご注意下さい」
「――ありがとう。わたしは……だいじょうぶ」
 そう言って、次のレッスンが行われる部屋へと向かった。その背中の向こうで、メイド達の声がする。
「何が“ありがとう”なのかしら。こちらの目も見ずに義務みたいに毎日毎日……」
「そりゃ貴女、あの長男じゃ仕方ないわよ。フェイト様みたいにころころ笑顔なら可愛いけど、明るい表情一つ浮かべられないんだから。子供らしいかわいさのかけらもありゃしない」
「でもねぇ、あの子、そもそも笑顔を見た事がこれまで一度でもあったかしら? もっと怯えてたり泣きそうだったりは見た事あるけど……」
「私達は……ないわねぇ」
 軽い笑い声が上がった。わたしはそのまま痛む足を進めた。

 夕方、音楽のレッスンが終わった。クラシック音楽は聴いていて心地よいと思っていた。けれども、強制されて歌や楽器を奏でるのは少しも楽しくなかった。
 いつか、自分の思う通りに曲を奏でられたらどんなにいいだろうと、無意味な空想をした。
 ふと目にした窓は夕焼けに染まり、橙色の空を鳥が三羽、巣へと帰っていった。
 小さくなっていく鳥の影が、どうしようもなくうらやましかった。

 深夜、ふらふらと自室に戻ってくる。時刻は午前二時を回っていた。
 今日は昨日よりも早く眠れる。一日の課題を全て終えた安堵の息が口から漏れた。
ふと、窓の外を見る。
 新月の夜だった。空は晴れているのに月がない。
 けれど夜空は明るかった。月の代わりに、星が強く輝いている。
 “星月夜”というものだと、日々の勉強で習ったのを思い出す。月がないのに、星が輝いて明るい晩のこと、という文句が反芻された。
 疲労でぼろぼろの筈の体は、何故かベッドへは向かわず、窓へ近づいた。
 夜空に浮かんだ星々が、その晩は本当に美しく輝いていた。母上が着けている首飾りの宝石よりも綺麗だと思った。
 しばし星空に見とれ、それから、ゆっくりと指を組んで瞳を閉じた。

「――どうか いつか 
    わたしを信じてくれるだれかが
    わたしが信じられるだれかが
      いっしょに この星空のしたで

    笑ってくれますように」

 瞬く星々に、祈りを捧げた。


 その時どこか遠くで、綺麗なバイオリンの音が聞こえた気がした――

――――――――――――――――――――
 幼少。
 お星様に祈った、ある夜の話。聞こえた音色は、きっと閉じた瞼の裏側で鳴ったもの。

 そんな“気”がした という
 お星様のいたずらだったのかも
 この願い事が叶うのは、彼が大人になってからです。


 さて、下の弟妹達は、自分達に白髪の長男がいる事は聞かされていましたが、どこにいるのか、何故一緒にいないのか等の理由は全て伏せられていました。
 理由は簡単です。
 こんな出来損ないの兄を晒したら伯爵家として生まれた弟妹の覇気が弱まる。完璧な次期当主にできあがるまで、テンはどこかにいる長男という事にされていたのです。
 しかしある時、鍛錬で腫れた腕を冷やそうと井戸の水をくみ上げているところに、入ってはいけないと言われていた離れの周囲に転がってきたボールをとりに、フェイトがやってきました。自分に一番近い、三つ下の、桃髪の弟です。
 「君は、もしかして僕の兄上?」
 と、何も知らないフェイトは無邪気に近寄って、テンに色々と質問しました。
 「長男なのに何でそんなにボロボロなの?」「何で一緒に遊ばないの?」
 口ごもるテンに、フェイトは更に続けます。

 「何でそんな、つまらない顔してるの?」

 次の瞬間、テンはフェイトに掴みかかって、首をしめていました。
 誰のためだと思ってるんだ、誰のせいだと思ってるんだ、何も知らない次男の首を、泣きながらしめました。
 「何で私なんだよ、何でお前じゃなくて私なんだよ!」
 そう泣きながら、しめました。その騒ぎを聞きつけて、使用人がやってきてテンを取り押さえ、離れにひきずっていきました。その日は、父親に気絶するまで殴られました。
 テンはフェイトを恨みました。たった三年。たったの三年違うだけなのに、と、フェイトへの憎悪は増すばかりでした。フェイトにしてみても、突然理由もなく首をしめてきた長男を憎みました。警戒し、下の弟妹達も同じ目に遭うかもしれないからと、白髪の長男には絶対近づくなと言い聞かせました。
 最初は周囲の期待に応えようと努力していたテンですが、もうそんな事はしなくなりました。ただ何も考えず、与えられた課題をこなしていくだけの子供になりました。いつしか表情も消えて、使用人からは陰で「お人形の次期当主」と囁かれるほどでした。
 自分がおちこぼれのままなら、当主権はフェイトに移るのではないかと小さな期待もありましたがそうはなりませんでした。ただただ機械のように課題をこなしていく長男は、いつの間にか父親が認めてもいいと思える形になっていたのです。
 やがて、住処を離れから本家に移されました。しかしフェイトから話を聞いていた弟妹達は皆怯え、フェイトは嫌悪を露わにし、避けていました。
 テンは、このまま生きていて一体何の意味があるのかとぼんやり考えていました。ああ、あの次男にも悪い事をしたなとも。

 そして15歳で正式に伯位継承権を受理して次期当主になる事を約束する儀 式が始まる前、テンは部屋で静かに窓を開けていました。
 この高さから頭を下にして落ちれば、確実に死ねる、と15歳の頭は理解していました。そうして今死んだら、弟妹は驚くだろうか、3つ下の弟は安堵するだろうか、母上はショックを受けるだろうか、父上は――悲しんで、泣いてく れるだろうかと……確かめたくなったのです。
 霊魂というものがあってもなくても、この生活からは解放される。何もかも無しにできる。そう考えたテンは、窓の外、切り立った崖の下の海めがけて、身を投げました。着せられていた鎧の重さがあれば、絶対に浮かびもしないだろうと、頭から真っ逆さまに。
 そこでテンの記憶は途切れます。
 しかし、彼は死ななかった。
 テンの伯位授与式になど出たくないと、フェイトが崖の間に隠れて遊んでいたのです。そうしたらいきな り上から人が降ってきて海に落ちた。
とっさに飛び込みました。水中で必死で鎧を脱がせて、気を失ったテンを崖の一画までひきあげました。

 そのあたりの、フェイトの話

           ↓


なかよし だよ

 最初の印象は、最悪だった。
 ただ話しかけただけなのに、本気で首を絞められた。意味がわからない。何故実の兄に敵意を向けられなければならないのか。何故暴行を受けなければならないのか。
 大嫌い、だと思った。
 もうこんな長男に関わるもんか、と。
 もしかしたら、自分の弟妹にまで暴力をふるうかもしれない。こんなの兄でもなんでもない。弟妹は僕が護るんだ、と――

 いきなり目の前に降ってきた兄を、とっさに助けた。
 式典用の鎧を着けていたし、本人は意識を失っていたから浮かんでこなかった。それに、落下の衝撃でか、どこかにぶつかったのか、首からは酷い出血があった。
 溺死か、出血死か――いずれにせよこのまま放っておけば確実に死ぬと思った。
 いくら大嫌いな兄でも、目の前で人が死ぬところを見殺しにできる程、僕の神経は太くなかった。
 必死で崖の一画までひきあげて、すぐに大人を呼びにいった。

 何となく、放っておけなかったんだ。
 当時の様子を大人達から聞いて、僕は彼が自分で飛び降りたとしか思えなかった。周りは認めなかったけど、彼はきっと自殺しようとしたんだ。
 どうして?
 あと数分で正式に伯位継承権を得る事ができたあのタイミングで何故――?
 彼の事が気になって、ベッドの側にずっと居た。
 そうしたら聞こえた。
 意識を失ったまま、魘されるように言った、彼のうわごと。

『――と しゅに…なんか……なりたくない』

 そう言って、閉じたままの瞼から涙を流した、たった一人の兄。
 見事な真っ白い髪を持って生まれた、待望の器。周囲みんなから期待されて、祝福されて生まれてきた長男。
 他にも『今の自分に本当に価値はあるのか』『みんなと遊びたい』などの意味のうわごとを呟いた。
 何かがおかしい。僕は彼の一番大切なところを見落としている。
 これまでで初めてと言えるくらい激しく、父上と使用人に長男の事を問い詰めた。彼のうわごとの意味は何だ。彼は自殺を図るまでに何に追い詰められた。
 自分達子供に、一体何を隠しているのだと。
 全てを話してくれたのは、僕の訴えを横で聞いていた母上だった。父上が止めるのを振り切って、泣きながらこれまでの事全部話してくれた。
 物心ついてからすぐの隔離生活。あまりにも厳しすぎる教育、折檻。

『誰のためだと思ってるんだよ!!』

 初めて会ったあの日、涙を流して首を絞めながら、彼はそう叫んでいた。
 その意味が、やっと解った。
 僕ら、弟妹のためじゃないか。ほんの少し運命の輪がずれていれば、僕が長男だったかもしれない。弟が長男だったかもしれなかった。
 それを、全部全部背負ってくれていたんだ。僕らの代わりに――
 僕らが両親に優しくされて、一杯遊んで、外にも出かけていた時間は、全部全部兄から奪ったもの。
 彼は長男として、僕らの運命を担ってくれたんだ。

 何てこと、言ったんだろう。

 僕はあの日、彼に言ったんだ。
『どうしてそんな、つまらない顔してるの?』

 首ぐらい絞められて当然じゃないか。
 そんな生活を強いられて、身も心もボロボロのズタズタにされた状態で、楽しそうな顔なんてしていられる訳ないのに――

 決めたんだ。その時。
 僕は兄に、これまでの借りを全部返す。これまで代わりに傷付いてくれた、苦しんでくれた 彼の思いを、全部僕が引き受ける。
 今度は、僕が兄を護る。

 何も知らなくて、ごめん――
 今からでも遅くないのなら、仲良くしようよ、兄上――

 二人一緒に泣きながら、誓ったんだ。
 僕は兄を護るって。
 兄は僕ら弟妹を護るって。

 だから、今がある。今の幸せがある。

 まだ、父上と彼の間の溝は埋まらないし、きっと緩和される事はあっても、埋まるなんて絶対にないんだろう。
 それでも彼は今、幼少期のうっぷんを晴らすようにのびのびしてる。ちょっとやりすぎかもしれないけど、これが本来の兄上なんだ。

 僕の自慢の、大好きな兄弟です。

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 こうなりました。


 飛び降りてから三日後目覚めた時も、やはりフェイトは隣にいてくれて、涙を流してテンをだきしめました。『何も知らなくてごめん』と繰 り返しながら。気がついたらテンも泣いていた。それは肉親から初めて受けた、情のある触れあいだったのです。理解してく れる人がいた。次は自分が彼を救いたい。そう誓いました。だから弟にいらぬ火の粉がとばないように、テンは伯位継承権授与を受けました。もう絶対にこの家の当主になってやると、誓ったのでした。因みにテンはこの時奇蹟的に後遺症もなく復活しましたが、落下した時海中にあった岩で肉が抉れて首の後ろに深い傷痕が残りました。後遺症が全くないのは本当に奇蹟だそうです。この傷痕は普段は髪で隠れてますが、暑い日など髪をアップにしてる時はチョーカーで隠しています。あまり人に見られていいもんでもないので。

 これが、伯爵家の事情です。長くなりました;

 で、あと残ってる説明はフロとテンの間の事とか弟同士の事とかですね。次のページにします。