乙女達の日常



 私がお茶を運んでいくと、彼はいつも優しい笑顔で喜んでくれる。毎日毎日の事であるのに、その度に心から感謝しているという風な笑顔を浮かべる彼は、優しくて不思議だと思う。私がお茶を淹れて運んでいくという些細な事を、 この人は一回一回、とても尊んでいるように見える。
 これは私の勝手な思い上がりかもしれない。 でもそれでも、私はその彼の笑顔に、一回一回自分の身体パーツを繋いでいる糸が震える程の幸せを覚える。
「いつも有難うございます。シャルロットさん」
「いいえ。お仕事は如何ですか?」
「――ここと、ここを繋いで、後はアイホールに入れる瞳を決めるくらいですよ。何色にしようか迷ってるんです」
「そのお人形なら、何色でも似合いますね」
「だから逆に困ってしまって……」
  そう言って、彼は笑う。 愛しい人。私のご主人様。彼が持つ繊細な指先が、今の私の身体を造り直してくれた。とっくに朽ちていた筈の私の身体に優しく触れて、 丁寧に組み立ててくれた人形師。
 神業級の職人。
 素晴らしいマエストロ。
 自分を造ってくれた指先が、ティーカップを受け取る際に私の指に触れる。 それだけで、私の身体は内側から幸福に震える。
「おや、今日のお茶はケニルワースですね」
「はい。お疲れだと思って……――合いませんでしたか?」
「いいえ。有難うございます。この甘い香りは今の疲れた頭を丁度良くほぐしてくれますよ。有難うございます」
「――喜んで頂けたなら嬉しいです。ジズ様」
 彼が側にいてくれる、笑ってくれる、それだけで私は幸福。
 今は亡き最初の主人をずっとずっと待ち続けて、一人で踊ってきた自分。 いつか戻ってきてくれる。また自分に微笑んでくれる。そう望み、もしかしたらもう戻る気が無いのではないかという 小さな想いを見ないようにして、ずっと待っていた自分。 でも今は、主人を待っていたこれまでよりずっと幸せな生活がある。新しい素敵なご主人様、お屋敷のお人形の皆さん、 よく訪問してくるご主人様のお友達の皆さん。素敵な和がここにある。
 時折悲しげな瞳をしている事もあるご主人様。それを見ると私の胸は潰れそうになる。 声をかけても、すぐ何もなかったようにいつもの微笑を浮かべるご主人様。 愛しいご主人様、どうか無理をなさらないで。
 私には、こうしてお茶を淹れるくらいしかできないけれど、せめて少しでもお役に立てればいい。 新たに造り直されて目を覚ました時、貴方にここで暮さないかと言われた時、どんなに嬉しかった事でしょう。 どんなに幸福に包まれた事でしょう。
 私はしがないフランス人形。
 でも、今は貴方が造り直してくれたお人形。 ジズ様のお人形。
 ジズ様の幸せが、シャルロットの幸せです。
「……今日もとても美味しいです」
「良かった」
「ああ、この紅茶色にしましょうか」
「え?」
「この人形の瞳です。ケニルワースの……セイロン系の紅茶特有のオレンジがかった透明な色」
「……それは素敵ですわ」
「ね。――さて、折角だから少し休憩にしましょう」
「それが宜しいですね」
「………ああそうだ。久しぶりに、一曲如何ですか?」
「え?」
「最近踊っていませんでしたら、たまには体を動かそうかなと」
「あ……はい! 何に致しましょう?」
「そうですね……スローフォックストロットでも……」

 たまに踊ってくれるこの時間、本当に幸福で仕方ない。人形造りや庭造りだけでなく、ダンスもとてもお上手で…… このお屋敷に居られて、本当に良かったです。

「ジズ様ぁー! リデルちゃんが遊びに来たよぉー!」
「遊びではないのだわ! デートのお誘いなのだわ!――あ」
「あっ」
「ああリデルさんこんにち……」
「この球体関節ジズ様から離れなさいなのだわーーーーー!!!!」
「きゃー!!」
「ちょ! ちょっとリデルさん待ってストップ!!!!」
「気易いのだわそこに直れなのだわあああああああ!!!!!!!」
「あああごめんなさいぃ!」
「リデルさん落ちついて! うわ鼠が! そう暴れるとそこらじゅうに鼠さんがぁ!!!」
「みんな楽しそうー! 壱ノ妙も混ざるー!」
「おやめなさいビーム出してはいけないと言っているでしょうが!!!!!!」

 色々と複雑な想いもあるけれど、やっぱり楽しくて幸せな、日常です。



 彼は誇り高く、凛として強い。
 けれどあまりに強すぎて、あまりに悲しい。
 彼は繊細な硝子細工のように鋭く美しく、そして脆いのが自分には解る。
 自分で気づけた訳ではない。 彼の事が気になって気になって――だから魔法を使って少しだけ、ほんの少しだけ彼の心を覗いてみたのだ。
 知った時、最初は自分の魔法が狂ったのだと思った。こんな結果が出る筈がないと焦った。 けれど何度繰り返しても結果は同じだった。
 彼は普段全く表に出さない、悲しさや寂しさや後悔の念を胸の内に抱えていた。 少し傷付けたらすぐに壊れてしまいそうな程繊細な魂。美しく強く脆い心。
 自分はきっと知ってはいけなかった。けれど知ってしまった。きっとこの事を口に出せば彼は自分を嫌うだろう。
 言えない。
 貴方の心を覗いたなどと、言える訳がない。
 自分は彼に嫌われたくないのだ。
 でも見えたのはその、僅かな障りだけ。一体何が理由でそんな思いを抱えているかなどは解らなかった。
 彼の心は厳しくて、自分の魔法をもってしてもそれ以上深く潜り込む事はできず、障りを見ただけで弾かれてしまった。 自分の悲しい部分を、脆い部分を一切表に出さず、凛とした姿で立つ彼。
 彼の成り立ちは大体知っている。それは出会ってから大分親密になった頃、彼が教えてくれた。
 自分は、もう一人の自分から分裂した感情の凝縮体だと言った。
 確かに彼の半身と見た目は瓜二つだ。納得できる。 けれど、もう一人の彼とは明らかに違う、何かが違う。きっとその根源こそが、彼の内に脆い部分が広がっている理由なのだろう。 その場に立つだけで冷たく伝わってくる闇の気配。同じ顔でも、もう一人の彼とは違う鋭い目つき。凛として孤高なその様。
 自分は初めて彼を見た時から、愛しさに胸を焦がしていた。 もう一人の彼には感じなかった、自分でも驚く程激しい恋。 自分は卑怯だと思う。魔法を使って愛しい人の心を探ってしまった。余計に想いを伝えるのが怖くなった。 妹は、いっそ当たって砕けてきた方がスッキリすると言うが、そんな勇気はない。
 想いを伝えた後、これまで通りの茶飲み友達として仲良く話せる自信がない。
 彼にはもう、彼を包んでくれる大切な人がいる。自分にはできなかった、自分では自力で気づけなかった彼の心を、包める存在が現れた。 彼が自分を選んでくれる、という期待は既に捨てている。
 幸せになってほしい。自分は側で見ているだけでもいいから、幸せになってほしい。
 嫌われたくない。嫌わないでくれればいい。だから言えない。きっとこの先もずっと。 自分が彼を愛しているという事を、言えなくてもいい。せめてこれからもずっと、想い続けていたい。
 ずっと、愛させていてほしい。

「最近星の動きが悪いようじゃ。儂の魔法が上手く働かん」
「ソウダナ。少シ十二宮図ヲ見直シタ方ガイイダロウ。水銀時代カラ青銅時代ニ入ル際ノ動キガヨクナイヨウダナ」
「そう思う。魔法の一部を作り替えてみるとしよう」

 珈琲を飲みながら、魔法を行う際に重要な宇宙の星の動きを、魔術的な読み方と照らし合わせて話す。 自分は魔女一族の現長だが、年齢的には彼の方が先輩なので、色々とアドバイスをくれる。
 こうしている何気ない時間が、とても幸福だと思える。

「――デハ、ソロソロ失礼スル」
「ああ。また別の結果が出たら伝える。もうすぐ新しいサークルが完成しそうなんじゃ」
「ホウ。ソレハ楽シミダナ。朗報ヲ待トウ。――デハマタナ。珈琲ゴチソウニナッタ、ロキ」
「うむ。またなラズ」
 
 その場で煙りのように消える彼を見届けてから、いつものように感嘆と緊張と切なさが混ざった溜息を吐く。
 昔、妹が魔法の事故で死にかけた時、死んでしまったと思って取り乱した自分を、彼は落ち着ける為に抱きしめた。
 強く抱きしめて、落ち着かせてくれた。 きっと、もう二度と彼の腕に抱かれる事はないだろうが、あの時の感触を、自分はまだしっかりと覚えている。 妹が大変な時に、一瞬でも彼に抱かれているという状況に胸を熱くした自分は最低だと思う。 元気になった妹は、自分のお陰でいい思いができて良かったではないかと笑ってみせた。
 強い妹だ。 けれど自分は、浅はかで、卑怯で、弱い。
 想いを伝える資格など、自分には最初からなかった。
 いい。
 今のままでいい。それでも愛していられるならば、充分だ。

「………………さて、と」

 一つ伸びをして、空になった二つのカップを片づける。 次に彼が来る時の為に、上等な珈琲豆を取り寄せておこう。


 つかの間のけだるさも、慣れた体はすぐに何事も無かったように覚醒する。
 二人でベッドに寝転がったまま、彼は煙草を、あたしは愛用のキセルの煙をくゆらせる。細く靡く煙が、ゆっくりと天井に昇り、じきに拡散した。

 ねえ、あんたはあたしの事ちっとも解ってやいない。解ってるつもりなんでしょ?
 あんたに会って今の関係になってからは、他の男と体を重ねた事なんか一度もない。でもあんたは、あたしは今でも男なら誰とでも寝ると思ってるんでしょ。 あたしが自分でそう言ってるんだから、そう思っててもらわないと困るんだけどね。女はみんな嘘つきよ。
 嘘つきで愚かなの。
 男は馬鹿ね。

「――ああそうだ……はいコレ」
「あん? 何?」
「あんたが頼んだんでしょ? 超速効性の媚薬」
「ん? ……あぁー。そうだったな。サンキュ」
「一週間前にそっちから頼んだくせに……相変わらず馬鹿ね」
「るっせぇな。一週間もかかると思わなかったっつの。遅いお前が悪い」
「失礼しちゃうわね。あたし達が作る薬っていうのは、そこらの薬剤師が薬調合するのと訳が違うの。 星や地面のご機嫌具合によって調合の仕方が変わるのよ」
「はいはい。そりゃ御苦労様。――で? 本当に効くんだろうな?」
「魔女が調合した薬よ? 効果は絶大。ちゃんとつい最近埋葬された墓地の土を満月にあてて、マンドルゴラと合わせて 丁寧に調合した特製の媚薬よ。飲ませれば30秒で理性を奪う。おまけに、薬の効果が切れるまで、相手は完璧に飲ませた者の虞。 それこそどんな命令でも聞くようになる。『靴を舐めろ』から『死ね』『誰かを殺せ』ってとこまでね。これ以上ない程従順な奴隷よ」
「そいつは恐ろしいなぁ」
「御望み通りでしょ?」
「有難よ。さっそく試してみるぜ」
「どうぞどうぞー。……で、誰に使うの? あの金髪幽霊さん?」
「ビンゴ」
「懲りずによくやるわねぇ。殺されてもしらないわよ?」
「そう簡単に死ぬかっての。一筋縄でいかない獲物って面白いだろ?」
「まあね。それはよく解るけど……随分気に入ってるじゃない?」
「美人だしな。色々秘密があるみたいで気になるね。ジズよりラズのが好みかな」
「長い髪好きねぇ」
「悪いかよ」
「別にぃ。確かにラズはあたしから見ても結構な獲物だけどぉ……手出したらとっても怒られそうだからやめとくわ」
「は? 誰に?」
「教えなあい。あたしから見ると、ラズもいいけど、あの赤い人の方が色々と刺激的で良さそうだけどねぇ。 まあこっちも泥沼になりそうだからやめとくわ」
「だから……何が?」
「教えなあい」
「意味わかんねぇ」
「いいのよ馬鹿は解らなくて」
「ああ?」
「いちいち反応するのも馬鹿な証拠」
「はいはいそーかよ。そっちこそイカれ好色魔女の癖によく言うな」
「イカれてんのはお互い様でしょ?」
「……だな。――さて」
「もう行くの?」
「ああ。折角調合してもらった薬、試させてもらうぜ。これ、何時間もつ?」
「最初の朝日が届くまでよ。これは夜の魔力を込めてあるからね。効き目がなくなる前にとんずらしなさいよ」
「解ってるって。じゃあな」
「あ、ちょっと赫……」
「ん?」
「――………使ったら、感想と、不具合があったらそれも教えてね」
「……ああ。じゃ、またなメディア」
「ん。じゃあね」

 こんなんじゃ、あたしも姉様を笑えなくなっちゃうわね。
 彼が部屋を出て行ってから、またキセルを吸って、ゆっくり煙を吐きだす。

 ――あんたの心も体も、あたしだけのモノになってくれればいいのに……



小説、というより小話ですね。某所に出したやつをちょこちょこ修正して転載; お手軽;
女子勢小話でした。シャル、ロキ、メディアですね。
前々から出そうと思ってたんですが。まだメディア姐さんがキャラ紹介に入ってなかったので;
入ったら即出そうと思ってました;
他にも、新キャラ話がいっぱい某所にてあったまってるので、少しずつ出していくと思います。今までみたいな小説じゃなくて、基本こんな感じの小話なのが甘いとこですが;
……うん。女の子って楽しいです。