元気が一番



 名前:Sereno(セレーノ)
 出身:ヴェネツィア
 死亡時期:中世16世紀初期。本人曰くヴェネツィア最盛期。
 死因:不慮の事故
 好きなもの:甘いお菓子
 嫌いなもの:独り・寂しさ・つまらなさ・美味しくない物・赤い変質者(赤闇の意)
 趣味:お菓子を食べる・音楽を聞く・歌を歌う・友達と戯れる
 最近のブーム:親愛なるお兄様(ジズ)とお姉様(ラズ)の真似・赤い変質者(赤闇)を呪う(効果なし)

 以上。


「―――――――ちょっと待ちやがれですよ!!!」
 いたんですか。
「いますよ! なんですか僕の説明をたったの八行で終わらせるとか! プロフィール作る、って言われたから質問に答えてあげたのにこういう使い方するんですか!? そんな事する奴はラグーナの潟に頭つっこんで泥だらけになってしまえばいいんですから!!」
 やれるものならやってみて下さい。
「こしゃくな! はい、という事で皆さんこんにちは! 僕セレーノです!」
 何が『という事で』なんですか?
「細かい事を気にするんじゃねーですよ!」
 しかし八行でまとめたプロフィールにも、つっこみ処がいくつか。
「はい? どこがです?」
 こうやって会話形式で書いていくと、セレーノが喚くだけ喚いて終わる気がするのでそろそろ通常通りの三人称形式でやっていいですか。
「むぅ。仕方ないですねぇ。どーぞ」


 このセレーノと言う幽霊、とりあえず楽天家と表現するのがいいだろう。まず、本人は自分が生きていた頃がヴェネツィアの最盛期と言うが、一般的にヴェネツィアの最盛期は15世紀で、その中でも中期からだんだんとオスマン帝国が進出してきて衰退していると伝えられている。これはまだその頃ヴェネツィアに滞在して高見の見物をしていたジズも証言している。
 まあつまりは、本人だけは愉しくて仕方ない日々だったので、あの時代が自分の国の最盛期だと信じて疑わないと言う事だ。
 死因は本当に不慮の事故だったのだが、五百年経った今でも死んだ自覚が薄いというのはただの馬鹿である。ジズ達と違って、特になんらかの契約をした訳でもなく、ただふらふらと現世に留まっている。“もっと楽しみたい”という未練があったのだが、現世を見れば見るほど面白そうなものが増えていって、もっと見たいという欲が高まり、結局成仏できずに今に至る。ある意味いつ成仏してもおかしくない霊だが、もう暫くはなさそうだ。
 それというのも、ジズとラズに懐いて仕方ないという理由が大部分を占めているからだ。同じ国出身というのもあり、兄のように慕っている。ただラズに至っては、“口紅綺麗だしオーラが女の人っぽいからお姉様”らしい。因みに本人にお姉様などと言おうものなら即刻荼毘にされる事は間違いない。
 赤闇は嫌い。生理的に嫌いらしい。特に理由もなく嫌い。呼び方は“赤い変質者”。しかも最近ラズにちょっかいを出すわ気付いたら同居してるわで嫌い度上昇傾向。セレーノはラズが何か黒魔術にでもかけられて、赤闇のいいように操られているのだと信じて疑わない。そして最近はフェイトとフロウトのところに(勝手におしかけて勝手に喋って勝手に帰っていくだけだが)遊びにいっていて愉しい日常だそうだ。
 そして今日も今日とて、遊びに出かけるのどかな日常。

 ジズ様、今頃何してるのかなー?
 そう頭の中で考えながら、鼻歌まじりに浮遊する青い紳士服の幽霊。手には土産らしき大きな紙袋を下げているが、向かう先にアポはとっていない。そもそもアポをとるという概念すら、この幽霊、セレーノには存在しない。
 行きたい時に、行きたい処に、行く。
 THE 自由気まま。それがセレーノだ。
「こんにちはー! キリコさーん!」
 ジズ邸の前に降りて実体化し、門番のキリコに挨拶する。突然の来訪にはキリコももう慣れているようで、大して驚かずに会釈した。外見は“荒れた見事な幽霊屋敷の門前に体育坐りしている巨人”、という図だが、ジズを知る相手の殆どが見慣れた光景なので今更つっこむ者はいない。因みに何も知らない者がジズの屋敷を見れば、殆どは怖がって近寄らないか、武勇伝を作ろうとする者が飛び込んでくるかだ。
「ジズ様いらっしゃいますか? お茶しにきました! お菓子もあるんですよ!」
 犬の尻尾がぱたぱたと振られている幻覚が見えそうな期待に満ちた眼差しで、にこにこしながらキリコを見つめる。キリコの言葉はジズとラズと人形達と、後は神くらいでないと解らないので、他の相手に対してはいつもジェスチャーで意思表示をする。YESの意。
「良かったぁ! じゃあお邪魔しまーす!」
 まだ“入っていい”とは伝えていないのもお構いなしに、セレーノはさっさと門を潜ってドアノッカーを叩いた。
「お邪魔しまーす!」
 そしてまた、相手が出てくる前にさっさと幽体化して通り抜ける。不法侵入など問題ではない。
「あら、セレーノ様、いらっしゃいませ」
 ノックの音を聞いて出迎えようとしていたシャルロットが微笑んで一礼する。彼女も、セレーノによる突然の来訪(もはや闖入と言うべきか)は慣れてしまったようで、いつも通りの落ち着いた振る舞いである。
「こんにちはシャルロットちゃん!」
「こんにちは」
「ジズ様はどちらです?」
「あ、今客間にいらっしゃいます。丁度お客様も御一緒で」
「え!?」
 ぱっと顔を輝かせたセレーノ。彼はこの時、シャルロットが一瞬表情を曇らせたのを見てはいなかった。
「お客様!? メメくん!? スマイルくん!? アッシュさん!? それともラズ様!?」
「あ、あの」
「やったああぁあぁ! 皆さん一緒にお茶しましょういやっほう!」
 止めかけたシャルロットになど全く気付かずに、セレーノは客間へと全力疾走していった。その後ろ姿を見届けてからシャルロットは困ったように笑い、追加の紅茶を淹れにキッチンへ向かった。

「こんにちはーーー!!!」
 ばたんと大きく扉を開けて入ってきたセレーノの目に映ったのは、
「あぁ、セレーノさん」
 先程から声は聞こえていたらしく、大して驚きもせずに柔和な笑みを浮かべるジズと、
「他人ノ家デ走ルナ」
 眉を顰めて一つ息を吐いて呟くラズと、

「騒々しいな」

 目すら向けずに珈琲を口に運ぶ赤闇だった。

 沈黙。

「―――――――――――何でてめぇが居やがるんですかこの赤い変質者ああぁぁぁぁああぁあぁああぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」

 そしてセレーノの怒声が響いた。
「私が何処でどうしていようと私の勝手だ。騒がしすぎて耳に痛い。少しは控えろ青二歳」
「うるせーってんですよ黙れ変質者! 毎度毎度ラズ様にちょっかいかけてると思ったら今度はジズ様か! もう勘弁ならんです! これ以上お二人に迷惑をかける悪霊はこの僕が成敗してくれるですよそこに直れです!」
 今にも自身の霊力を水に変えて攻撃しそうな勢いのセレーノにおずおずと、
「あ、あの、セレーノさん」
「はい何でしょうジズ様?」
 声をかけたジズへ赤闇に対するのとは打って変わって満面の笑みで応えるセレーノに、ラズが言葉の続きを引き継いだ。
「今一番我々ノ迷惑ニナッテイルノハオ前ダ」
 またしても溜息と共にそう言われ、セレーノは引き下がるしかない。セレーノの水攻撃自体は威力も低すぎるし(水鉄砲並と言っても過言ではない)、繰り出されたとしても物に当たる前に赤闇かラズが炎で蒸発させるかジズが花弁や荊で吸収してしまう事も容易だが、できればそんな霊力の無駄消費はしたくない。何よりもまず面倒だ。そして喚くセレーノはうるさい事この上ない。
 そう。セレーノの攻撃は水だ。霊力を水という形に変化させたもので、何故水なのかと問われれば『水の都万歳だからです!』という答えが返ってくる。自分が一番イメージし安く、自分になじむモノが具現化対象となる。セレーノは水、赤闇は炎、ラズは青い炎でジズは黒薔薇。それぞれ特徴のあるモノだが、ジズとラズは普段は攻撃に使うのは専ら鋼線とトランプだ。赤闇に至っては炎と魔術の合わせ技だったりそうでなかったり。相性で言えば、水のセレーノは炎の赤闇やラズより勝っていそうだが、水圧が低すぎるのと火力がとんでもないのとで全く歯が立たない。
 そんな訳で、とりあえず無駄な労力は使わないに越したことはないのでその場は収まった。
「うぅ……何でこんなに素敵なお二人がこんな変質者に構われなければならないんですか……世の中おかしいですよ……」
「私から見ればお前が滑稽すぎて不思議だ」
「このぉ!」
「喚くな青二歳」
「その呼び方やめろよな!!」
 赤闇とセレーノが出くわせばもう毎回の情景なので特に驚きはないが、ある意味微笑ましい光景にジズは苦笑するしラズは全てを諦めたように我関せず。赤闇は別にセレーノを嫌っている訳ではないのだが、彼の反応に素直に答えているとこの状態になる。そして特に気にしていない。赤闇を生理的に嫌っている(本人談)セレーノにしてみれば鬱憤が溜まることこの上ない状態だ。
「…………………イライラしてる時には甘いお菓子を食べるに限りますよね!!」
 そう言って持ってきた巨大な紙袋を、どんっ! とテーブルに置いた。重い。音が重い。
 怪訝な色を浮かべる三人に構わず鼻歌まじりに紙袋の中に手を突っ込み、中から巨大なケーキ用の箱を取り出すセレーノに、
「……あの、セレーノさん?」
 おずおずとジズが口を開く。
「はい?」
「随分重そうな音がしましたが……その中身は一体?」
「ふっふっふ! 驚くなかれです!!」
 勝ち誇ったような顔をしてセレーノが箱から取り出したのは、
「………………大キスギナイカ? ソノ ズコット」
 呆れたように、ラズ。
 そう。それはあまりにも大きなズコットだった。道理で紙袋が大きい訳だ。特注品ではないかと疑う程大きなズコット。直径50センチはありそうだ。
「本当に……大きいですね。どうしたんですかこれ?」
 苦笑しながら尋ねるジズ。大きさもさることながら、なかなかの品だ。二色の生地は見るからにふっくらと柔らかそうだし、上にかかっている粉砂糖の色合いも見事。デコレーションされたホイップクリームとベリーとナッツは、地味すぎず派手すぎずな素晴らしいセンスを感じる。一人一切れでも充分すぎる量だし余りそうだし、屋敷の皆で食べれば丁度良いだろうかとジズが思考を巡らせる中、

「アッシュさんが作った物を頂いてきました!!」

 元気一杯にそう答えた。
「え?」
「ハ?」
「ほう」
 ジズは純粋に驚いた顔を、ラズは眉を顰めて嫌そうな顔を、赤闇は感心したような顔をそれぞれ浮かべた。
「あ、あの? それって一体どういう事ですか?」
 困惑しつつ首を傾げて更に問うジズに、セレーノは満面の笑みで答える。

「えっとですね、こちらに伺う前にスマイルくんのところに遊びに行こうと思って行ってみたら、アッシュさんがこのズコットを仕上げている最中だったんです! で、お見事な作業だったので幽体化して見物してたら、スマイルくんがやってきてそのズコットどうしたの? って訊いてたんですね。そしたらアッシュさんが、明日ジズ様に会うからびっくりさせようと大きいの作っている、って言ってたんです。大きいけど、お屋敷の皆さんで食べれば量は問題ないだろう、って! それでスマイルくんがいなくなって暫くして、仕上げが終わってアッシュさんもキッチンから出てどこか……疲れてたみたいだから一休みでもしに行ったんでしょうかね? どこかに行ってしまったので、僕がその辺にあった箱と紙袋を拝借して持ってきた訳です! 箱も紙袋の大きさも、このズコットにぴったりだったので、最初からこれに入れて持っていく予定だったんでしょうね! できあがってから早く食べた方が美味しいですもの! 明日持っていくつもりなら、今日の方がいいです! 僕今日ジズ様のお屋敷に伺う予定があったんですから、丁度良かったですね! だからこのズコットは、できたてほやほやな訳です! 以上です!」

「…………………」
「…………………」
「…………………」

「? どうしました?」
 沈黙した三人にきょとんと首を傾げるセレーノ。
「……おい」
「あ? 何だよ」
 口を開いた赤闇に嫌悪むき出しで反応する。
「このズコットを拝借する事を、アッシュに一言断るか、又は置き手紙でも残してきたか?」
 頬杖をついてそう言う赤闇にセレーノは鼻で笑い、
「わざわざそんな事するまでも無いだろ! だってこれは元々ここに運ばれる予定だったんだし! アッシュさんにしてみれば、一分でも早くジズ様のお口に入る訳だから感謝感謝ですよ! きっと今頃喜んでる筈! 僕の親切心様さまです!」

 人はそれを泥棒と呼ぶ。

 因みにその頃ユーリ邸では――
「白状しろスマぁああぁぁぁぁぁあああ! 食べたっスね俺が作ったズコット食べたっスねぇぇぇえええぇぇぇええ!!!!」
「食べてないよいくら僕でもあんなでっかいの一つを短時間で食べれる訳ないでしょ!?」
「いいやお前しかいないっス! だってユーリはずっと棺桶で寝てたし! 俺がラッピング用のリボン探してる間にあれをどうにかできたのお前しかいないんスよ!!」
「濡れ衣だあああぁぁぁああ!!!! カレー大盛りならあのくらいの時間で食べれる自信はあるけどあんなに大きいケーキ丸々なんて無理だって!!」
「じゃどっかに隠したんだろ!! 箱も袋も無くなってるし隠したんだろ!!!! 保冷剤まで減ってるじゃないっスか白状しろぉぉ!!!!」
「隠してないよぉぉぉぉ!!!」
 そんな言い合いが続いていた。

 サプライズで用意されたケーキを今更返しに行くのはどうかと思うのと、何よりも盗んできたセレーノが食べる気満々なので、仕方なくお茶を運んできたシャルロットに切り分けてもらった。
 四人分をとってもまだ半分以上残っているので、後で人形達にも配る事にしよう。
「ではいただきまーす!」
 そしてさっさと食べ始めるセレーノ。彼の皿にだけ、切り分けても尚一般的なサイズより大きなズコットが、最初から四切れ盛られていた。数は充分なので特に咎めはしないが、普通のケーキ皿では入りきらないので、わざわざシャルロットに大皿を持ってきてもらってまでそうする光景は、まるで大食いチャレンジでも見ているようだ。
 アッシュに申し訳なく思いつつ、ジズも一口。予想通りとても丁寧に作られていた。しっとりと柔らかい生地と濃厚でなめらかなクリームが舌の上でとろける味わいは、思わず笑みが零れる程美味だった。先程からセレーノの周りに花が飛んでいるような幸せオーラが放出されている事は言うまでもない。赤闇も素直に美味だと感じているらしい。そして、
「……………ッ」
 先程からフォークを付けずに渋っているラズ。
「らふはまぁ、ほいひぃれふよ!」
「ダカラ飲ミ込ンデカラ喋レ!」
 うんざりと眉を寄せながらそうつっこみを入れて、ラズは重く溜息をつく。彼がフォークを付けない理由は、甘党のジズの対極という事で、甘い物は好んで摂取しないというのもあるが他にも――
「安心しろラズ。洋酒はさほど強くない」
「……ソウ、カ」
 呟く赤闇に複雑な表情を浮かべて応える。
 とんでもなく酒に弱いラズは、洋酒の強い菓子を食べただけでも酔ってしまう。以前、セレーノが酒が強いスコッチケーキをただのパウンドケーキだと持ってきて散々な目に遭った。
「まぁ、酔ったら酔ったでまた以前のように面倒をみてやるから心配するな」
「最悪ノ記憶ヲ思イ出サセルナ赤闇!!」
 ダン! と拳を握ってテーブルを打つラズに、
「んぇ? めんどう? 何でふかそれ?」
 口をもごもごさせながら、元凶が自分だったのを忘れたのかセレーノが呑気に質問をしたものだから鋭い睨みをきかされた。ジズは明後日の方向を眺めながら苦笑している。
「そう怒らずともよかろう。あの時は自分から求めてきたくせに」
「ダカラ! ソレハ貴様ガイイ様ニアシラッタカラダロウ!!」
「ほう? アルコールと私のせいにして自分がした事を有耶無耶にする気か?  酔えば素直になる癖に強がりおって」
「ソレ以上言ウトタダデハ済マンゾ」
「どうなるのか見物ではあるな」
「コノッ!」
「ラズ少し落ち着いて下さい!」
 このままでは室内で火炎放射しかねない空気になってきたのでジズが仲裁に入るが、そのくらいの理性は残っていると、眉を顰めて掌を振るラズ。
「安心しろジズ。例え炎を出したとしても、家具に焦げ目の一つも付けはせんさ」
 この空気を作り出した張本人だが全く何も関係無しに、優雅に珈琲を飲みながらそう言う赤闇。一体彼はどこまで達観しているのだろうか。自分の半身の恋人だと、突然現れた彼の存在は最初の頃は半信半疑で警戒もしていたが、今では“ああ成る程”と納得していた。
 赤闇だったから、ラズの新しい存在意義になったのだろうと。
 この男は、こうして珈琲を飲む動作一つにも全く隙が無い。自分から見ても、これまで幾つもの修羅場を切り抜けてきた、一筋縄ではいかない大物だというのは充分解る。そして彼が纏う霊力魔力は計り知れない。七百年間こんな存在には逢った事が無かった。全く大した男がいたものだ。
 ラズと分裂し、和解した時はまだ彼は孤独だった。自分と和解して微笑んでくれたのはとても嬉しかったが、心を許せる他人など誰もいないラズは見ていて悲しかった。だからジズはあの時願ったのだ。自分にアッシュという存在が居てくれたように、彼にも、自分の全てをさらけ出して、受け止めてくれる存在が現れる事を。
 そしてその願いは今こうして、叶った。

「あ、おい変質者何かよく解んないけどラズ様にちょっかい出すなですよ! まだ残ってますよねおかわり頂いていいですか??」

 赤闇とラズの会話も気にはなっていたようだがそれよりも自分の皿を空にする事の方が重要だったらしく、セレーノは目をキラキラさせながら残りのケーキに手を伸ばす。まだ誰も良いと言っていないが。
 そこへ、
「……セレーノ、ソチラヲ取ルナラ先ニコチラヲ処理シロ」
 呆れた表情を浮かべながら、ラズが自分の皿をセレーノの前に指先で押し出した。
「え? ラズ、食べないのですか?」
「アア。私ハ遠慮シテオク」
「ですが……」
「えぇえ良いんですかラズ様有難うございます頂きますああ美味しい!」
 理由も何も関係無しにケーキを頬張るセレーノには苦笑しか返せない。
「私ハ食ス気ニナレン」
 呟き、ラズは一つ息を吐いて目を伏せた。
「………あの、ラズ?」
「何ダ?」
 呼びかけるジズに再び目を向ける。彼が手を付けない理由はもしかすると――
「これを作ったのが、アッシュだから、ですか?」
 控えめに尋ねると案の定彼は、何も言わずにまた目を伏せた。これは肯定だ。セレーノは食べている。
 以前ユーリ城で開かれた茶会の時も、ラズは結局口に入れたのは紅茶と珈琲だけで、茶菓子には一切手を付けなかった。どうしても、アッシュが作った物だと思うと抵抗があるのだろう。その気持ちはラズの立場になって考えればよく解る。自分の存在意義を奪った相手だ。好きにはなれないだろう。だがそのアッシュを誰より大切に想う自分としては、同じく大切な半身とも仲良くやってほしいと、ジズは切に願っていた。セレーノはまだ食べている。
「意地か?」
 珈琲を口に運びながら涼しげな顔で呟く赤闇をまたラズが横目で睨む。
「図星か」
「黙レ」
「私というものがありながら、そう他人の事をいちいち気にするな」
 その言葉に複雑な色を浮かべて口ごもる。セレーノは三切れおかわりしている。
「それとも妬かれたいのか?」
「ハ!?」
「構ってほしいのか? やれやれそうならそうと言え」
「誰ガ言ッタ!?」
 ラズにこんな軽口を言って飄々としていられるのは赤闇くらいだろう。その情景につい笑いがこみ上げてくるので口元を抑えるが、それでもくすくすと声を漏らすジズにラズは悔しそうな恥ずかしそうな怒ったような目を向ける。セレーノは紅茶に砂糖を追加している。
「本当に仲が宜しいですね」
 噛みしめるようにそう言うジズに、赤闇が真意を悟ったように微笑を浮かべる。ラズは何となく気まずそうだ。そして、

「あー美味しいホントに美味しいですよねシャルロットちゃんの紅茶も美味しいです! なのでシャールロットちゃーーん! 紅茶おかわり下さーい! そしてジズ様もう一切れケーキおかわりいいですか?」

 砂糖がたっぷり入った紅茶を飲み干したセレーノが満面の笑みでそう言った。ジズ達の会話は殆ど耳に入っていなかったようだ。お菓子優先。客間の向こうから、はい只今、というシャルロットの返事が聞こえた。
「ちょ、ちょっと待って下さいセレーノさん!」
 また勝手におかわりしようとしたセレーノを制して、ジズが慌てて残りの数を指折り確認する。
「え……」
 フォークを持った手を残りのケーキに触れる直前のところで硬直させているセレーノ。
「な、何ですかぁジズ様ぁ……?」
 見ている側が本気で心配になるような悲しい顔をジズに向けている。
「オ前ハ“待テ”ヲサレテイル犬カ」
 的確なつっこみが入った。今のラズの表情は“心の底から呆れた顔”というやつの模範と言える。赤闇はただ、
「滑稽な奴だ」
 の一言である。
 巨大なケーキは十六等分にされ、その内の十切れを今消費しているので残り六切れ。ジズ邸の者にあてがうと、シャルロットと壱ノ妙で二切れ。メバエ二人で二切れ、ミニジズズは四人で一切れでも充分な量。キリコは物を食べないので、合計すると五切れあれば足りるのだが――
「……折角作ってくれたのですし、明日来るアッシュの分もとっておこうと思うので……言いにくいのですが、おかわりは勘弁して下さい」
 苦笑しながらおずおずと言った言葉。直後、カツーンという硬質な金属音が客間に響いた。何の音かと説明すれば、セレーノがケーキ目前で止めていたフォークを取り落としてそれが皿の縁に当たって軽く跳ねた音だ。
「―――――――」
 絶望に塗り潰され、青ざめた顔(元々淡緑色だが)に見開いた目。眉を下げ口を半開きにして硬直する様は、まるで冤罪で死刑宣告を受けた者のようだ。
「……セレーノさん?」
「…………」
「…………」
 三人が一様に眉を顰める中、
「……………そんな……たった八個でお預けなんて……マンマミーア……!!」
 この世の終わりだと言わんばかりの表情で頭を覆いながら呻いた。いやそもそも一体何切れ食べるつもりだったんだ、と三人が同時に心中で呟いた事など知る由もない。確認するが、このズコットは十六等分にした一切れでも、一般的に売られているサイズより大分大きい。そんなケーキを彼は既に、一人で八つ食べているのだ。充分すぎる。
「う……うぅぅうぅ……しかしジズ様の頼みでは……ここは、断腸の思いですが、おかわりを我慢せざるを……えませんっ!」
 ケーキのおかわりが断腸の思いなのか、という三人の心中など気付く筈もない。彼は涙まで浮かべそうな勢いで宣言し、決死の表情で顔を上げた。三人は唖然。そこへ、
「お待たせ致しました。紅茶でございま――セレーノ様どうなさったのですか?」
 ノックの後にティーポットを持って入ってきたシャルロットが本気で心配した。
「うぅ……有難うございますシャルロットちゃん……」
「あ、あの何処か具合でも?」
 これまでの会話内容を知ったらどう反応するのだろう。心から心配してそう尋ねるシャルロットに、
「何でもないのですよ」
「気ニスルナ」
「下らん事だ」

 三人がそれぞれフォローを入れたので、困惑しているようだが何とか大丈夫らしいと理解した。しかしセレーノが今度は眉間に皺を寄せて赤闇に向く。
「ちょっと待てですよ! 今さらっと『下らない』とか言いやがりましたねこの変質者!」
 ああ始まった。
「下らんだろうが」
「こんのぉ! 一度ならず二度までもぉ!! お菓子を馬鹿にする奴は僕が許さんです! しかもこれはアッシュさんが僕のために仕上げてくれたケーキだってのに」
「ソレハ違ウ」
「これを馬鹿にするって事はつまりアッシュさんまで馬鹿にしたって事だろが! 一体何様だってんですか!」
「あ、シャルロットさんここは大丈夫です大丈夫ですからどうぞ戻って下さい」
「甘味を馬鹿にする奴は地獄逝き決定です! そして僕を怒らせたんですからお前なんか破いて捨てられるチョコの包み紙にでもなっちまえばいいんですよ!」
「ですがあのセレーノ様本当に」
「暑い時なんかはチョコが溶けたのが付いたままポイッと捨てられいや待って下さいそれ羨ましいです溶けたチョコがとろーっと」
「大丈夫です本当に大丈夫ですから、はい、はいではまた」
「あーもう考えたらまたお菓子食べたくなっちゃったじゃないですかどうしてくれるんですかこの変質者! お前なんかカステラの下に付いてる和紙にでもなってしあでもあれもざらめが付いてて美味しい! ケーキに付いてるフィルムもクリーム付いてて美味しい! 全部舐め終わったドロップの缶も中に甘い粉が残って――あれ何の話してましたっけ?」
「そろそろいい加減にしろ」
 ラズのつっこみもジズとシャルロットのやりとりも全く聞かずに好き放題喚いていたセレーノに、静かに珈琲を飲みズコットを食べていた赤闇がようやく反応した。
「何だよ何でお前に指図されなきゃならねーんですか!?」
 お菓子について妄想していたところを遮られ、苛立ち露わにそう怒鳴る。そんなセレーノに対して、まだデカンタに残っている珈琲を自分のカップに注ぎながら、
「私はこのズコットに対して下らんと言った訳ではなく、量を制限されたくらいで断腸だ何だと喚く貴様自身を下らんと言ったのだ。妙な勘違いを起こして勝手に喚くな」
「な、な、な、何だとぉー!? 余計腹立つじゃねーですか何様だぁ!?」
 ガタンと席を立ちながら顔を赤くして喚いた。
「俺様だな」
 それを全く意に介さず珈琲を口に運んでさらりと応える。
「ざけんなですよ変質者様で充分だ!」
「そうか。良かったな」
「いや全然良くないですよ何なんだお前は!?」
「赤闇様だな、青二歳」
「このぉ!!」
 騒ぎを聞きつけて、今度は壱ノ妙あたりが入ってきかねない喚きっぷりだ。耐えかねたジズが苦笑しつつ、軽く手を挙げてやんわりと、
「セレーノさん、折角シャルロットさんが淹れて下さった紅茶が冷めてしまいますよ?」
 そう言った事で何とかセレーノの熱が下がったようだ。死んでいるので体温は無いが。
「………こうなったら……もうヤケ飲みですよぉ!」
 半泣きでカップに紅茶を注ぎ、そこに角砂糖をどばどばと入れる茶髪の幽霊。その量、ティーカップ一杯に角砂糖五つ。思わずラズが背筋を凍らせて頬を引き攣らせた。もはや砂糖の味しかしないのではなかろうか。そしてそれを一気飲みである。これには甘味好きのジズも呆然だ。赤闇は初めて目にする奇異な動物を見る目で、軽く頬杖をつきながら観察している。
「……ほんと……お菓子作るの上手ですよねぇアッシュさん……」
 二杯目。角砂糖六つ。
「スポンジもクリームもほんと美味しいですしぃ」
 三杯目。七つ。
「お願いしたらまた作ってくれますかね……作ってくれますよねぇまた食べたいですぅ!」
 四杯目。八つ。飽和して溶け残ったものが底に溜まっている。
「そしたら今回の倍くらいの大きさのを作ってほしいです!」
 その溶け残ったものをスプーンですくってじゃりじゃりと食べている。
「いいなぁいいなぁジズ様が羨ましいですよ……僕の家にもアッシュさん一人欲しいです」
 彼にとってアッシュは“お菓子生産機”らしい。ははは、とジズが渇いた笑いを漏らす中、ラズはもう勘弁してくれと言わんばかりに口元を手で押さえて顔を背けていた。見ているだけで甘いらしい。そうしている間も、また紅茶を注ぎ足して飽和以上の量の砂糖を投入するセレーノ。このままではジズ邸の砂糖という砂糖が底を着きそうだ。
 砂糖が足りるか心配するジズと、口の中が勝手に甘くなってきて気持ち悪そうにするラズの前で、

「―――――食べるか?」

 発せられたその言葉。
 勢いよくセレーノが顔を向けた先には、頬杖をつきながら半分ほど食べたズコットの皿を持ち、無関心な目を向けている赤闇がいた。
「……………………ぁ」
 そしてみるみる内に放出されていくセレーノの幸せオーラ。漫画なら間違いなく“ぱあぁぁ”という効果音が付くだろう。ぽかんとした顔を向けるジズと怪訝な表情を浮かべるラズの前で、

「…………………ああぁぁぁあああぁああああうわあああああぁぁぁぁあああぁズコットぉおおおぉぉおおおぉぉお!!!!!」

 幸せ全開で立ち上がり皿を受け取った。
 先程までの怒りはどうしたとか、そもそも嫌いな筈の赤闇の食べかけだとか、そういった事は全て二の次らしい。どこまでもお菓子優先。甘味は正義。
「たたた食べ物に罪はねーですから有り難く受け取ってやらなくもあああぁぁあやったぁぁああ! うわぁい礼くらい言ってや有難うです赤闇うわぁあ流石赤兄ぃぃ! んああおいひぃ! やっぱりおいひぃ!!」
「赤兄?」
「赤兄ィ!?」
「何でも構わん」
 つっこみ処が有りすぎて困惑する二人と、喚いていたセレーノが食べる事に集中しだして静かになった事に満足する赤闇。
「これ以上あのような調子で砂糖を消費されては、ラズが本気で具合を悪くしかねないからな」
 全くその通りだ、とラズが疲弊した調子で深く重く息をついた。
「ああ、砂糖の量が大分減りましたね……確かまだストックは有ったと思いますが……」
 セレーノが来る前に比べて激減した砂糖壺の中を覗きながら、ジズも苦笑いして息をつく。
「無かったら無かったで、責任を持って消費した本人に買いに行かせるべきだな」
「確カニ」
「あはは。多分、大丈夫ですよ……」
「ごちそう様でした僕幸せです!!」
 かくして、また賑やかな時間が流れ出した。

 
 翌日。
 屋敷に来たアッシュにジズが取っておいたズコットを差し出しながら、昨日のいきさつを話すと、

「…………そりゃ無いっスよ………セレーノさん……」

 見て解る程脱力し、疲れ切った嘆きを漏らした。


End


 ………はい。見事に、暴走して、食べて、喚いて、食べて、終わりましたね;;;;;;;;
 幽霊組の中で、今のままではセレだけ影が薄いままだ!;と危機(?)を感じたので書きました。セレーノ主役です。途中背景になったりもしましたがセレーノ主役です主役ったら主役なんです。つっこみ禁止。
 甘味においては、彼の胃袋はブラックホールと化すようです。
 ある意味、次に挙げる小説の事前準備的内容も含まれてます。詳しくはUPされてからのお楽しみという事で。その話はとんでもなく長くなりそうですが;;;
 因みにマンマミーアは英語にするとオーマイガッです。何てこったい! です。
 とりあえずセレーノは、本当に我が道を行く空気クラッシャーである。なんか、見せたいシーンを盛り込んでみたらこんな話になりました;;;ジズさんがフォロー役でラズがつっこみで赤闇が傍観でアッシュが苦労性、って感じですね。そのまんまだけど;
 なんか最近小話書きすぎて、小説のつもりが小話っぽい書き方になってしまってすみません;;;ギャグだから許して!!!(だめ)
 しょっぱなから出おちサーセン!!!!!;